アマゾン地域の大都市

アマゾニア州の州旗

タヒボも販売されるハーブの集積地

マナウスはブラジル内陸部を代表する大都市で、地元アマゾン原産ハーブ類の集積地でもあります。市内にはそれらを販売する屋台、専門店が多く並び、様々な種類のハーブ・薬草を見ることが出来ます。多くの商店でタヒボの樹皮が販売されており、その人気の高さに驚かされます。この町には近代的な医療施設もあるのですが、地元の人々はタヒボなど伝統的なハーブを利用し健康維持に役立てています。

歴史

1669年:この地に最初にヨーロッパから入ったポルトガル人が、アマゾン川経由でのスペインの侵攻を阻止するために小さな砦を作ったことで、この街の歴史が始まります。
1832年11月13日、植民地は街として認められ、この地域に住んでいた先住民”Manao”から”Manaus”と名前がつけられます。地元の言葉で「神の母」を意味します。
1848年10月24日マナウスはCidade da Barra do Negro「ネグロ川河口の都市」という名で都市としての地位を与えられます。
1850年アマゾナスが州になる。
1856年9月4日、街はCidade de Manaus「マナウス」に改名され現在に至ります。
1890年から1920年の間、ゴムを硬化させる方法が発見されたことにより、マナウスはゴム産業の町になります。 当時、ゴムの価格が高かった事もあり農園のオーナーは巨大な富を手にし、町は繁栄し、アマゾンのパリと呼ばれたこともあった。貧困から逃れ、ゴムビジネスでの富を求めてブラジル東北部からやってきた人々で町はあふれました。
1920年までに合成ゴムと東南アジアでのプランテーションによりゴムの価格は大幅に下落しマナウスの経済は衰退し、今日ではブラジル北部の金融センターとしての顔を持ちます。

経済

これまでの100年マナウスの主要産業はゴムの生産でしたが、現在は以前ほど重要でなくなっており、その立地から木材やナッツの貿易、石油精製、石鹸製造、化学産業が主な産業になります。1967年に経済フリーゾーンに指定されたため、近年では外国企業の進出も盛んで一大工業地域となりました。 タヒボをはじめとしたアマゾン原産のハーブ類の集積地であり、毎日活発に取引が行われます。

マナウスの観光

マナウスはアマゾンの中心に位置するため多くのブラジル人、外国からの観光客で賑わいを見せ、多くの水上ボートや陸上のツアーや、アマゾンの密林をめぐる観光用アトラクションが用意されています。

The Amazon Theater

Amazon Theater1800年代の終わりマナウスにはゴムの貿易で富をなした数多くの人たちが暮らし、ラジオ、テレビの無い時代、彼らはヨーロッパの音楽を聴くためにこの劇場を建設し、アメリカ、ヨーロッパから歌手、音楽家を招き音楽を楽しみました。 The Teatro Amazonas (Amazon Theater)はマナウスでもっとも美しい建物でドーム型をした屋根は全てブラジルの国の色で彩られ、建物内部は640人が座れるホールがあり、壁面には美しい絵画が飾られています。